オアシスからのニュースレター
2024.6
『創造主は愛の神、真実な方』
星野 弘治
時代とともに変遷する“救い”
先月、地域の長寿会の皆さんと立山博物館を見学してきました。雄大な立山の自然や立山の山岳信仰の歴史を、博物館の展示物やビデオで鑑賞しました。地獄で苦しむ亡者が阿弥陀如来によって救われる話を大きなスクリーンで見ながら、昔の人たちが考えていた死後観と極楽浄土について考えさせられました。
立山の山岳信仰の「死んだら、人はみな地獄に落ちる」という点は昔から変わっていません。しかし、救いの“内容”は時代によって変遷しています。昔は、立山に入山することで疑似的に死者になり、厳しい登山で地獄の苦しみを体験し下山することで現世の安穏と極楽浄土に往生することが約束されるというものでした。しかし平安末期の「今昔物語」に紹介されている立山信仰は法華経を千部書き写すことで地獄から救われるというものです。また、今回立山博物館の遙望館で紹介された玉殿岩屋の伝説から見えてくるものは阿弥陀如来信仰です。どれを信じれば“救われる”のでしょうか。
変わることのない“救い”がここに
ここで、変わることのない救いを紹介させていただきます。およそ2千年前に救い主としてこられたイエス・キリストという方は、33年の生涯の最期に私たちの罪のために身代わりとなって十字架に架かり、死んで墓に葬られました。しかし3日目の朝、墓からよみがえられました。そして弟子たちにご自身のよみがえられた姿をお見せになり、ある時には500人以上の弟子たちに同時に現れました。こうして40日の間、確かな証拠をもってご自身がよみがえられたことを弟子たちに納得させ、また神の国のことをお語りになりました。
この“よみがえり”によって、弟子たちのイエス・キリスへの信仰は揺るがないものになりました。そして彼らは、以前にも紹介したように、「この方以外には、だれによっても救いはありません。」と大胆に証しする者となりました。
イエス・キリストの証言と救いの確かさ
イエス・キリストは十字架に架かられる前の晩、弟子たちを前にご自分のことを次のように証言されました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」
天国は聖なる神の国です。イエス・キリストの十字架は天国への唯一の道です。イエス・キリストはまた、神の真実を明らかにされた方、生きる力と喜びを与える方です。このことを、弟子たちはイエス・キリストのよみがえりを通して悟ることが出来ました。あなたはいかがでしょうか。道であり、真理であり、いのちであるイエス・キリストを救い主として心にお迎えし、天の御国に迎えられる者となって下さい。本当の救いはここにあります。
聖書のことば
“イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければだれも父のみもとにいくことができません。」”