星野 弘治
人間には知恵がある。元アナウンサーの鈴木健二氏は「気配りのすすめ」の中で挨拶の大切さを説いておられる。確かに、家庭、学校、職場、またご近所でも、時には無愛想な応対をされることがあったとしても「おはよう」、「おはようございます」と挨拶するのは気持ちのいいものである。また、鈴木氏は相手を呼ぶ時の呼び方にも心配りする大切さも説いておられる。確かにその通りで、相手を呼ぶ呼び方で自分の気持ちが変わってくる。不思議なものである。
「挨拶運動」を展開すれば、新湊は更にさらに活気づいていくのではと勝手に思ったりする。どんなものでしょうか。
それはそれとして、どうにも制御できないのが人間の心である。あまり利害関係のない相手、深い関わりのない相手、ちょっと苦手な相手なら知恵を働かせて関係改善を図ることも出来る。しかし、関係の深い相手になると深刻だ。正直なところ、心の思いは理性に関係なく膨らんでゆく。正に釈尊が説いておられるとおり、「怨憎会苦」(怨みや憎しみを持っている相手に会うのを避けることが出来ない苦しみ)である。
この、人の生において避けられない苦しみにも原因が分かれば解決策も分かるというもの。「そう簡単に言うな。」とおっしゃるかもしれない。しかし、この大宇宙を造り、私たちをこの世に生まれさせてくださった方は、親が子供のことを知っているように、私たちが四苦八苦の中で生きていることを良くご存じの方であり、またその原因がどこから来ているかもご存じの
方だ。では、原因はどこにあると言うのだろう。その原因は前にも申し上げたとおり、私たち人間がその方から離れてしまい、その方を知らないで自己中心の生き方をしているところにある。
そこで、ご自身を知らしめ、またご自身を離れた私たちをどんなに大切に思っておられるかを知らしめるために救い主を送って下さった。確かに、救い主は私たち人間の歴史の中に現れて下さり、その生涯の終わりに私たちの身代わりとなって罰せられ死んで下さった。そう、この自分のために死んで下さった方がいる! 何というありがたいことか。この救い主に頼るとき、あぁ、怨憎会苦の苦しみから全く解放されてしまうのだ。感謝。
「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての罪を彼に負わせた。」