星野 弘治
「狼が来た」
「イソップ童話」のひとつ「狼が来た」の話を思い出した。この話は、「狼が来た。狼が来た。」と村人たちを欺いた少年。本当に狼がやってきた時には誰も助けに来る人はいなかったという話。イソップ童話はなかなか面白い話が満載だ。
さて、今年も救い主の誕生を祝うクリスマスの季節がきた。しかし、多くの人々がこれまで様々な救い主、ご利益の神々を説いてきた。だましたとまでは言わないが、人々は今や「どんな救いの神もみな方便だ。心から信心していればそれでいい。人それぞれだよ。」とみょうに悟ってしまっている。だから、「救い主がお生まれになった。」と声高に叫んでも、今はどれだけの人が本気で受けとめ、考えてくれるだろうか。
史実としてのクリスマス
しかし、イエス・キリスト誕生の出来事は私たちが信じようが信じまいが史実として歴史の中に刻まれている。この方の誕生によって歴史は、紀元前(BC.キリスト以前)と紀元後に分けられ、紀元後はAD(主の年)と呼ばれている。その誕生は、ヘロデという名の王がイスラエルをおさめていた時代、そしてクレニオという方がシリヤの総督としローマの元老院から遣わされていた最初の住民登録の時だったことも分かっている。
預言されていたことの成就
イエス・キリストの誕生が、今や世界の多くの人々によって祝われるには理由がある。それは、人類の救い主として来られる方の預言が、このイエス・キリストという方において全て成就されているからだ。例えば、イエス・キリスト誕生のおよそ700年も前に、救い主として生まれる方の誕生地はベツレヘムと告げられ、イエス・キリストはまさにベツレヘムで誕生。また救い主として生まれる方はダビデ王の家系からとおよそ1000年も前に告げられていたが、それもその通りに! しかもその誕生は処女からと、およそ750年も前に告げられていたが、イエス・キリストはその預言の通りに処女マリヤより誕生した。人々が、この方イエス・キリストこそ私たち人類に遣わされた唯一の救い主と信じるのは当然である。
素直に受け止めてみよう
あなたは救い主として誕生されたイエス・キリストをどのように受け止められるでしょうか。今までのように、「人の心に安らぎを与え る方便にすぎないよ。」と受け流してしまわれるでしょうか。それとも、「もし本当なら・・、」と真剣に受け止められるでしょうか。クリスマス・シーズンは、そのことを考える良い季節だと思います。
「神は、実に、そのひとり子(キリスト)をお与えになったほどに世を愛された。それは御子(キリスト)を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」