星野 弘治
どうして、あなたを
「どうして、あなたを見捨てることができようか。」さらには「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。」と。これは誰の言葉でしょうか。これは、実は天地を造られ、私たちに生命を与えてこの世に生まれさせて下さった方の私たちに対する思いだった。
私たちの目に見えない創造主は、その胸の内を実物教育を通し明かされた。
考えられない神のことば
旧約聖書の中に、創造主なる神様のことばを託されたひとりの預言者の記録がある。
彼は神のことばを預かり語る者として、公私ともに生き方に注意して生きていたに違いない。
その彼に何と、「姦淫の女をめとれ。」と予想外のことばがあった。彼は告げられた通りに姦淫の女をめとり、子供も3人与えられた。
しかし、幸せな家庭は一変してしまった。このように夫からも愛されていた彼女が、またもや昔の道に行ってしまったのだ。
そんな時、創造主なる神様のことばが再び彼に来た。人にも見捨てられ、今は見る影もない奴隷の身になった彼女を何と買い戻して来なさいと言うものだった。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛しなさい。」
どうして?!
「どうして、どうして・・・?」と誰もが理解に苦しむのではないだろうか。夫を裏切ったこの女は当然の報いを受けているのではないか。しかも、神の正義、神の正しさは一体どうなってしまうのか!?そんな心配までしてしまう。
しかしかの預言者は、言われた通りに行ってその奴隷になった妻を買い戻し、家に連れて帰った。
こんなことがあって良いものだろうか。許されて良いものだろうかと頭を抱え込んでしまう。
姦淫の女は私だった
しかし、姦淫の女は私のことだった。なぜなら、この世界を造られたのも、私に生命を与えられたのも、創造主は私を愛しておられたからだった。それなのに・・・。
このことを、ひとりの人、ひとつの家庭を通して明かしてくださったのだった。
見捨てられ、法の前で裁かれても不思議でないこの私を「わたしは、どうして見捨てることが出来ようか。」と言って下さっている。何とありがたいことではないか。
そのみおもいは、救い主を送ってくださることによってさらに確かなものとなった。次回は、そのことを見てみたい。
聖書の言葉
「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。」