星野 弘治
兄さん、ありがとう。
7月、8月はお盆の時節。故人の思い出を語り合う機会が多い。私も、昨年4月10日天に召された兄のことを鮮やかに思い出す。
あれは、日曜日の奉仕を終えて200キロの夜道を車を走らせ病院に着いた時のことだった。時計は夜の9時を回っていた。付き添いの許可をいただけるか少し案じながら7階のナースステーションへと急いだ。しかし到着するなり、当直の看護師の方が「弟さんですか。よかった。お兄さんが待っておられます。」と。どうしたのだろうかと一瞬いぶかりながら急いで病室に入った。そして、体力が衰えて良く聞き取れない兄の口から出る言葉を全身で聞き取った。何と、兄は「弘治が信じている信仰を私も信じたい。」という意思表示をしたのだった。私はただただ天の神に感謝しつつ、兄の祈りを導いた。「イエス様。私の罪のために十字架で死んで下さり、私の罪を赦して下さったことを感謝します。信じた私に今永遠のいのちを与えて下さり感謝します。」という趣旨のものだった。目を開けると、兄はしっかりと手を組んで祈っていた。
天地創造の時あなたはどこに
自分の信じてきたことを曲げようとしない兄に、どうしてこのような心境の変化があったのだろうか。考えるうちに思い当たる出来事があった。私はファックスで、創造主が「天地を造られた時あなたはどこにいたのか。」と問うておられること、またへりくだって悔い改める者を豊かに赦して下さることも伝えていた。これに対して、めずらしく「良く分かった。」というファックスが3週間くらい前に届いていたのだった。
また、4月はキリストの復活を祝うシーズンに入っていた。私は、機会を見ては兄にキリストの十字架と復活、その歴史的な事実を話した。
そして病室には、「わたしはよみがえりです、いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」というキリストが語られたおことばを大きな字で書いて貼っておいた。
最後は、やはり真実を求めるものだなぁ
私は兄を天国に送ってみて、この天地を創造され、私たちに命を与えられた方は、確かに今も生きて働いておられることを思い出す。と共に、人は死に直面するとやはり真実を求めるものだなと改めて思わされた。
あなたは、歴史上に起こった出来事を記録を通して信じておられる。それと同じです。
2015年前に救い主として来られた方、私たち人類の罪の身代わりとして十字架に付けられた方、3日目に墓からよみがえられた方、キリストをその記録を通して信じてみてください。 天国行きの切符はあなたのものとなります。
聖書の言葉
イエスは彼に言われた「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。 わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」