牧師 星野 弘治
なぜ生きる
「なぜ生きる。」― 大変重い質問である。しかし、この重い質問に真剣に向き合っている人たちがいる。この題名で書かれた本が100万部も売れているというのだ。生きるということに、こんなに多くの人たちが答えを求め、真剣に向き合っているのだ。
この本が映画化され、知人のご好意で先日久しぶりに映画鑑賞に行ってきた。
普遍の問いかけ
アニメ映画だったが、史実を詳しく検証し見ごたえのあるものだった。映画の時代背景は、応仁から戦国への先の見えない、不安な時代。その時代に「なぜ生きる」の答えを追い求めた男たちの生き様を描いたもの。そして彼らの生き様を通し、今日同じように先の見えない不安の中に、介護や子育てなど様々な問題に悩んでいる人々に解決を提供しようとしている映画だった。
「なぜ生きる」― その答えは?
ストーリーは、不遇を嘆く一人の青年にスポットライトを当てることから始まる。希望を託していた子供も事故で失うなど先の見えない暗闇の中で苦しむ彼は、蓮如上人の法話に耳を傾けるようになる。その法話は、親鸞聖人が明らかにされた「なぜ生きる」の答えを紹介するもの。― 人は果てしない海原を当てもなく泳いでいるような者。やがて力尽き、溺れて土左衛門になること必定。それでも、人は泳ぎ続けなければならない。どうして?それは、阿弥陀仏の大悲の願船に乗るためだ―と。
次第に引き込まれていったこの青年は、ついに蓮如上人の弟子となり、布教に励む。
さらに優れた、確かな救い
確かに、人は救いを必要としている。親鸞聖人は、実に日本が生んだ天才宗教家とたたえることができよう。しかし、阿弥陀仏は教えの中の存在。だから、私の恩師故春日礼智博士は、阿弥陀仏の本願をはっきり「方便」と言い切る。しかし、朝ごとに「南無阿弥陀仏」と唱える。方便であっても、恩師も含め多くの信奉者がいることも事実。
しかし、さらに優れた、そして確かな救いがここにある。この大宇宙を造り、私たち一人ひとりに命を与えて下さった方、天の御父は私たちの魂の求めに応えて、実際に救い主を送って下さった。阿弥陀如来の大願は、クリスマスにお生まれになったイエス・キリストにおいて実際に歴史の中で成就した。あなたはこの方の救いの大船に乗るとき、方便ではなく間違いなく天の御国に連れて行っていただける。あなたは、その救いの大船に乗るために生まれて来たのだ。
聖書の言葉
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
(ヨハネの福音書3章16節・新改訳)