牧師 星野 弘治
終末の時代に生きる私たち
最近「イスラエルが孤立化の一途をたどっている」という趣旨の報道が流れた。知る人ぞ知る。これは、世の終わりに起こると預言されていた出来事の一つだ。
さかのぼること紀元前7世紀のこと。イスラエル民族は自分たちの将来について告げられた。彼らは世界中に散らされる。しかし、世の終わりには集められ、国家を再建する、と。確かに、イスラエル民族は世界の各地に散らされ「流浪の民」となった。しかし1930年代になって、続々とパレスチナに帰って来るようになった。そして何と、その預言どおり、1948年5月14日、イスラエル共和国が誕生した。
だから、私たちは間違いなく「世の終わりの時代」に生きていることになる。さらに、終末に起こると預言されている出来事は「イスラエルの孤立化」。その預言が見え隠れする時代に私たちは今生きているのだということにも是非気づいていただきたい。
創造主の警告と人々の無関心
しかし、警告されても無関心な人の心はいつの時代も変わらないようだ。
かつてソドムとゴモラの人々が裁きにあった時もそうだ。同性愛がはびこり、創造の秩序が乱れた。創造主は警告されるが、人々の心は頑固で聞く耳を持たない。熱心な宗教家のたわごととしてしか受け止めなかった。しかし、警告通り裁きが起こった。噴火とマグマの流出で一瞬のうちに町は飲み込まれ滅びた。
「ノアの洪水」の時もそうであった。悪がはびこり、社会は乱れていた。創造主は、神を畏れるノアに世界を裁かれると告げられ、指示されたように大きな箱舟を造るよう告げられた。砂漠の中で日夜トンカチやっているノアを人々は嘲笑った。
しかし、はたせるかな。40日40夜雨が降り続いた。地面からは水が噴き出て一瞬に大洪水になり、箱舟に入ったノアとその家族以外は押し寄せる水の勢いに飲み込まれて滅んだ。
死後定まっている裁きの日
私がこのように警告させていただくのは、「世の終わり」が単なる世の終わりで終わらないからだ。預言の言葉がこのように文字通り実現するものであるとするなら、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」という言葉も、同じように確かに実現するに違いない。
最後に、次の聖書の言葉を紹介したい。「神は、お立てになった一人のひとにより義をもってこの世界を裁くために、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証を全ての人にお与えになったのです」と。
聖書の言葉
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。」