牧師 星野 弘治
「恵み」っちゃ・・
「恵みっちゃなんのことけェ?」と、反応が返ってきそうだ。
そう、この言葉はあまり耳にしない言葉かもしれない。
言葉の意味は「なさけをかけること」(広辞苑)。
この言葉は元は
「受けるに値しない者に注がれる神様の御愛」であった。
「神様」は創造主のこと。
この世界は私達のために造られている。
私達はこの方に命を与えられてこの世に生まれて来た。
それにも関わらず、私達はその方を認めようとせず、
他の神々を信じていたそんな私たちに、
終わりの日が近づいていることを知らせ、救いの道を備えて下さった。
これは、そむいて受けるに値しない私達に注がれた神様の御愛、
恵み以外の何物でもない。
予告する思いやり
予告なしに「今日は試験だ。」
と言われ、あわてた経験はないでしょうか。
予告なしに突然世界の終わりを迎えることになったらどうだろう。
歯ぎしりして備えていなかったことを後悔するのではないだろうか。
でも、安心してください。
この天地を造られ、私達に命を与えられた方は、
予告なしにこの世を終わらせる方ではありません。
前号で紹介させていただいた通り。
さらに、世の終わりの前兆をいくつかをあげると次の通り。
方々に飢饉や地震が起こる。
民族と民族、国と国との対立。
戦争のうわさを聞くようになる。
また、不法がはびこるので、多くの人々の愛が冷たくなる。
さらに政治的動きでは、前号でふれたイスラエルの孤立化の他に、
旧ローマ帝国の流れをくむ10か国が連合体を作るなどがある。
救いの道まで備えて
創造主は、このように世の終わりの前兆まで語られた。
この世を創造された方だから当然と言えば当然であるが。
そしてさらに、終わりの日の裁きに備えて
「救いの道」を設けてくださった。
それは、私達人類の始祖がご自身から離れた時から
計画しておられたことだった。
今回は、そのいくつかを紹介して、次号にゆだねたい。
まず、始祖達がそむいたことで裁きが宣告されるが、
しかし救い主を人として遣わすと予告。
それが現実のものとなって来たのは
アブラハムという人物を選んだことに始まる。
このアブラハムの子孫イスラエル民族を通して
救い主の来ることが告げられた。
そして、誕生のおよそ700年も前に、
生まれる場所は「ベツレヘム」、
生まれて来る目的は
「私たちのそむきの罪を負って罰せられるため」と告げられた。
そして、その通りに事が進んで来た。
どうぞ知って下さい。
この世界は偶然に存在するようになったのではない。
造られた方がおられ、
その方はご自身のご計画に従って一切を導いておられることを。
人の考え出した宗教の話ではありません。
聖書の言葉
「神は、実に、そのひとり子を
お与えになったほどに、
世を愛された。それは御子
(イエス・キリスト)を
信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。」