牧師 星野 弘治
現世は来世への準備
初めに、お断りしておきたい。
私はここで宗教談義をしようとしているのではない。
そうではなく、いつも申し上げているように、
この天地万物、そしてあなたを造られた方がおられ、
その方があなたに何をしてくださったかを知っていただきたいということ。
私が願っているのは、ただこの一事である。
さて、前号で紹介させていただいた亀谷凌雲先生(1888~1973)の
著書の中で「現世も、結局来世への準備」とあった。
これは、とても重いテーマだ。今号では、どうしてこの
「来世の救い」の問題が先生の心の中に強く残っていたのだろうか。
そもそも来世は存在するのかなどご一緒に考えてみたい。
「来世の救い」に固執されたわけ
さて、浄土真宗では「一意往生浄土の一事にその信仰が集中されている」
と言われる。亀谷先生は熱心な浄土真宗の僧侶であられた。
「真の如来」を求め続けた先生は、方便としてではなく
現実にこの世に来てくださり、現実に私たちの犯した罪の責任を
一身に負って十字架で死んで下さったイエス・キリストこそ「如来中の如来」、
「弥陀の本願は、イエス・キリストにおいて成就した」と悟った。
しかしながら、幼い時から浄土真宗の信仰に育まれてきた先生にとって
後生来世の救いが最大の関心事だったのはむしろ当然と言える。
しかし聖書の理解が進むにつれて、「来世の救い」こそ
聖書信仰の中枢をなすものであることを知るに至り、迷いはなくなった。
そもそも本当に来世はあるのか
しかしそうは言っても、そもそも本当に来世はあると言えるのだろうか。
今号では2人のその道の権威の方の証言を紹介して真実探求の一助と
していただきたい。その1人は、アメリカの心理学者協会の会長も務められた
ゲーリー・コリンズ博士。キリスト復活を「幻覚」ととらえる人に対して、
彼は言う、「幻覚は個々人に起こる現象であり、・・・複数の人間が
同時に同じ幻覚を見ることはない。・・・幻覚とはこのように主観的世界にのみ
存在するものであり、他の人物が同時に見ることは不可能である」と。
もう1人は、イギリス最高裁のエドワード・クラーク卿。
彼はキリストの復活についての証拠を入念に調べたうえで次のように
言っておられる。「弁護士としても、私は福音書の証拠を文句なしに
受け入れることができる。証言者は信用できる人物であり、
その人物像からも証言内容の正しさが立証される」と。
空っぽの墓を前にして、あなたはキリスト復活の出来事をどのように
判断されるでしょうか。もし事実とお認めになることができたら、
来世の備えもお考えになって下さい。
聖書のことば
「人の子(注:救い主であるわたし)は、
失われた人を捜して救うために来たのです。」
(ルカの福音書19:10)