星野 弘治
死後が分かれば人生変わる
人は、本当に死んだら終わりでしょうか。いろいろな考えがあります。しかし、この世界の起源とその終わり、人の起源とその終わりを明らかにしている聖書は次のように明言します。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」。
ハッキリ申し上げます。死は終わりではない。死後に裁きがあります。そのように申し上げるのは、確かな証拠があるからです。そして死後のことが分かれば、人生は変わります。
裁くお方がよみがえられたから
死んだ人がよみがえるなど考えられないことです。しかし、事実そのようなことが起こったのです。イエス・キリストという方は、十字架で処刑され、死んで墓に葬られましたが、3日目の朝、墓の中からよみがえられました。そして40日間、確かな証拠をもってご自分がよみがえられたことを弟子たちに示されました。度々お話してきた通りです。
このイエス・キリストがよみがえられたという事実はまた、終わりの日の裁きが確かであることの証拠でもありました。「なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです」とある通りです。「お立てになった一人の方」とは、キリストのことです。
あなたも裁かれます
なぜ私が裁かれなければならないのでしょうか。以前の私はそう思っておりました。しかし、神の御前では、とがめられなければならないことがボロボロ出てきます。それどころか、天地の創造主なる神がおられるにもかかわらず、その方を認めることも仕えることもしてこなかった自分中心の生き方は重大な罪です。
さらに大きな罪は、神が私のその背きの罪を赦すために救い主を遣わしてくださったにもかかわらず、その御愛を退け、救い主を信じようとしなかったことです。
こう見てまいりますと、神の御前では「私も確かに罪人だ」と自覚せざるを得ません。
しかし今や、死は天国への門口
しかし、今から2千年前、神から遣わされた救い主は確かに歴史の中で、私たち人類が犯した罪のために十字架につけられ罰せられ死んでくださり、3日目に墓からよみがえってくださいました。この身代わりの死を信じるとき、あなたも罪赦された者となり、もう裁かれることは決してありません。罪は赦されていますから、死の恐れはありません。死は地獄への門口ではなく、天国への門口となりました。
あなたも、ちょっと立ち止まって考えてみてください。
聖書のことば
なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」
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