星野 弘治
祈る動物?
祈る動物?どんな動物だろうか?それは人間のことです。前号でも紹介いたしましたように、文化人類学者のジャングルでの観察の結果によると、どんなに原始的な営みをしていても、人間であれば石を建てたり木を立てたりして拝み祈る行動が観られるそうです。こうした行動は他の動物には見られない行動だというのです。人間という生き物は、実に宗教的活動をする動物、祈る動物だなと納得させられます。
しかし、こうした研究成果を知らなくとも、私たちには心あたりがあるのではないでしょうか。「苦しい時の神頼み」ではありませんが、私たちもみな祈り心を持っているのではないでしょうか。
その方は本当に聞いてくださる方?
新湊は漁師町だからでしょうか。町の至る所に祠や石地蔵が安置されています。今でも、祠や石地蔵の前で祈る姿を見かけます。海上で仕事をする漁師たちにとっては、板一枚下は深い海。家に残る家族たちは大漁を祈ると共に無事に帰って来ることを誰かに祈らずにはいられなかったことでしょう。
今はお盆時期。先祖様に守られていることを感謝したり報告したりして仏前やお墓にお供え物をして祈ります。心和む風習ですね。人によって祈る対象は様々です。でも、私たちの祈っている方は本当に実在し、本当に祈りを聞いてくださる方でしょうか?
イエス様の存在とその実像
イエス・キリストが実在の方であることは疑う余地がありません。歴史の本で知るところですが、紀元前紀元後という歴史の区分もイエス・キリストの誕生を境に区分されたものです。また、世界中でクリスマスにはイエス様の誕生をお祝いします。このイエス様は、700年以上も以前に預言されていた通りに私たちの罪を負って十字架で罰せられて下さいました。しかし、3日目に墓からよみがえられ、40日間ご自身が生きておられることを確かな証拠をもって弟子たちに納得させ、天の御父の許に帰られました。救いの道が完成したのです。あなたは今、イエス・キリストの身代わりの死を信じるだけで罪赦された者となり、神の家族の1員として天の神様に祈りをささげることが出来るのです。
祈りへの招き
そのイエス様が十字架にかかられる前夜、弟子たちに語られました。下記の聖書のことばです。イエス様はみこころに沿ったことを祈り求める時、どんなことでも叶えて下さると約束されました。私たちにできることには限界があります。しかしイエス様は、祈りを通してあなたの願いを叶えて下さると言っておられます。何というありがたいことでしょうか。
聖書のことば
“あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます。”
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