星野 弘治
間違いなく成就する聖書の預言
聖書に記述されている預言は、100パーセントその通りに成就しています。前号でも紹介したように、国を失い、1900年もの間「流浪の民」として世界各地に散っていた民族が、いま毎年2万人から3万人途切れることなく祖国に帰っています。この驚くべき現実も、今から2500年も前に預言されていたことの成就でした。「―神である主のことば―わたしはあなたがたを諸国の間から導き出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。」とある通りです。こうしたことを通して、私たちを愛する創造主まことの神様はご自身が真実な方であることを示しておられます。私たちの救いについての預言も、その通り成就しています。
身代わりの死も
前号で触れたように、創造主なる神様は、ご自身から離れた私たち人類の最初の人をさばかれました。しかしそのさばきの中で、救い主を人としておくると預言されました。その預言は、イエス・キリストの誕生において成就しました。イエス様はその生涯の終わりに、ご存知のように十字架にかけられました。これは、実は750年も前に預言されていたことの成就でした。「わたしたちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。」とある通りです。
確かに私たちは、創造主が望んでおられる道ではなく、自分勝手な道を歩んできたのではないでしょうか。しかしイエス様は、そんな私たちのために罰せられてくださいました。
罰せられる方法も
「おまえは神の子キリストなのか、答えよ。」と大祭司に問いただされた時、イエス様は「あなたが言ったとおりです。」と答えられ、さらに「あなたがたは今から後に、人の子(ご自分のこと)が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります。」と答えられました。自分を神とする者は冒とく罪です。神を冒涜する者だと断定されたイエス様は当時の慣習に従えば石を投げつけて殺す石打の刑を受けるはずです。しかし、祭りの時に身を汚すのを避けようと、ローマから遣わされた行政官に引き渡し十字架刑となりました。これも、紀元前1000年代にすでに預言されていたことでした。絶望的叫びで始まり、十字架上でのむごい有様が描写されています。
このように、私たちが創造主なる天の神様に帰る道も100パーセント預言された通りに成就しています。聖書は、単なる宗教の書物ではありません。そうではなく、歴史を支配しておられる方が私たちをご自分の許に連れ戻すために明らかにされた愛の書物です。あなたも、聖書を手に取って確かめて見られてはいかがでしょうか。
聖書の言葉
遠い大昔のことを思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。
わたしは後のことを初めから告げ、まだなされていないことを昔から告げ、『わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。
配布版はこちら