オアシスからのニュースレター 2021.7
『あなたは永遠を何処で』
星野 弘治
人は死で終わるのではありません
今号では、再度伺います。「あなたは永遠をどこで過ごしますか」。切羽詰まったことではないので、ついつい後回しにしてしまいやすい問題ではあります。しかしこの問題は、やりなおしのきかない、究極的な問いかけです。余裕のある間にご自分のこととして考え、後悔することのないように納得のいく答えを得ていたいものです。
よく耳にすることですが、「死んでしまえば終わりだよ」。確かに、私たちの肉体は物質から成り立っていますからやがて死を迎えます。死で全てが終わったような気がいたします。しかし、人間は他の動物と違うところがあります。人間は、肉体と共に「霊」を持っているということです。「霊」は物質ではありませんから、無くなってしまうことはありません。今号のテーマは「あなたの霊は永遠を何処で過ごしますか」と言った方がより正確ですね。
宗教活動が「霊」の存在の証拠
でも、私たち人間の内に「霊」があるなどどうして分かるでしょうか。「霊」は物質ではありませんから、見ることも触れることもできません。そのように思うのは当然のことです。
ですから、他の動物との違いを考えてみたいと思います。あなたは、人間が他の動物と違うところはどんなところにあると思われますか。
いろいろ思い浮かぶと思いますが、いま1つの判断材料をお伝えしたいと思います。以前触れたことがあったかもしれませんが、文化人類学者が長年ジャングルで行ってきたフィールドワークの結果明らかになった興味深い発見があります。他の動物と変わらないような日々を送っていても、ヒトであれば素朴ではあっても何らかの宗教活動があるということです。素朴であっても宗教活動があるということは、ヒトは本来霊を持っていてその「霊」を満足させようとしてそのような行動をしているのではないでしょうか。お盆行事も、私たちが霊を持った存在であることの証なのかもしれませんね。
どこから来て、どこへ行くの?
ところで、なぜ人間は「霊」を持っているのでしょうか。聖書によると、私たちは創造主なる神様によって命与えられてこの世に生まれてきた者たちですが、「霊」も同じように創造主なり神様によって与えられたと教えています。
私たち人間がこのように霊を持った存在として造られたのは、元はと言えば、霊である創造主なる神様を礼拝し、仕えて生きるためでしたが、この「人の踏むべき道」からそれてしまい、今は「迷える羊」のようになっていると聖書は教えます。
私たちは、どこから来て、どこへ行くのでしょうか。私たちの霊は、死後どこに行くのでしょうか。答えの手掛かりはあるのでしょうか。
聖書のことば
”イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとにいくことはできません。 」”
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