オアシスからのニュースレター 2021.8
『帰り道を用意された創造主』
星野 弘治
人間が、ではなく人間をつくられた神
今号では聖書のことば「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちをもつためである。」を解説させていただきたいと思います。
まず、ここでいう「神」は人間がつくり出した神様ではありません。人間をつくられた神様のことです。この宇宙とその中の全てのものをお創りになり、私たちに命を与えてこの世に生まれさせてくださった創造主なる神様のことです。
創造主の愛を疑うようになった
この創造主なる神様は、宇宙も地球環境も私たちのために創られました。ところが、人類に対する創造主の愛を疑わせようとする霊がおり、人類の最初の人はその霊に惑わされて創造主の愛を疑い、創造主から離れてしまいました。その結果、自然界においても人間社会においても今日見るような混乱の状態になっているのです。今日の自然界における混乱も人間社会における混乱も、元はと言えば私たち人類の始祖が創造主なる神様に背いて離れてしまった結果なのです。
愛は見えるかたちで示された
創造主なる神様から離れた私たちですが、神様の御愛は変わることがありません。ご自身から離れた当初から、私たちに帰る道を用意されました。何となんと、それは、およそ2000年前のこと、イエス・キリストと言う方において現実のものとなりました。創造主なる神様は、ご自身から離れた私たちを裁くのではなく、むしろ何ひとつ背いたことのない愛する御子イエス・キリストに私たちの背きの罪を負わせて十字架上で罰し、私たちに対するご自身の愛を見えるかたちであらわしてくださいました。あなたを、そして私を赦すために愛するひとり子イエス・キリストを犠牲にされた創造主なる神様の御愛。何という神の御愛でしょうか!
それは、永遠のいのちを持つため
最後に、後半を見ましょう。「それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。「御子を信じる」とは、「御子イエス・キリストが私のために十字架で死に、私の罪を赦してくださった」と信じることです。信じた人は後に裁かれることがなく、罪赦された者として永遠に神様の御愛の中で、親元に帰った子供のように憩うことができます。これこそが「新しい命」であり、「人が本来持つべきいのち」であり、「充実した人生に導くいのち」です。信じた私は今、この「永遠のいのち」が与えられているので喜びの人生を送らせていただいております。
聖書のことば
”イエスは彼に言われた「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとにいくことはできません。」 ”
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