オアシスからのニュースレター
2023.3
『父よ、彼らをお赦しください』
星野 弘治
不当な裁判
もしあなたが不当な判決を言い渡されたらどうしますか。おそらく上訴を検討されることでしょう。しかし昔はそんなことは考えられないことでした。その結果、様々な悲劇が起こったのです。
イエス・キリストの裁判も、不当な裁判でした。当時のユダヤ指導者たちはイエスの評判に妬みを募らせ、何かに急かされているかのように当時の決まりを次から次へと破って裁判を行いました。それにもかかわらず、十字架に架けられたキリストは「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」と祈られました。
人の道から外れている私たち
クリスマスにお祝いしたように、イエス・キリストという方は神の御子であり、救い主です。そのイエス様が、どうして十字架に付けられなければならなかったのでしょうか。それは、「私たちのためだった」でした。この出来事が起こる750年も前に、救い主として来られる方が、創造主なる神様から離れた私たち人類のために身代わりとなって罰せられることが預言されていました。
自分を生んでくれた親を敬い、感謝し、親孝行するのが人の道です。それと同じように私たちに命を与えてこの世に生まれさせてくださった、言わば「親の親」である創造主を敬い、感謝し、お喜ばせするのも人の道です。ところがどうでしょうか。私たちは、この「命を与えてくださった創造主」を神として崇めず、感謝することも、お仕えすることもせず、かえって他の神々に仕え、自分本位な生き方をしてきたのではないでしょうか。これが、創造主なる神様に対する何よりも大きな罪なのです。
罪の代価は支払い済み
そんな私たちのために、イエス・キリストは十字架に架かられ死んでくださいました。息を引き取る前に、イエス・キリストは「テテレスタイ」と叫ばれました。「支払いは完了した」という意味です。私たち人類が犯してきた「大きな罪」を、ご自身が身代わりとなって罰せられた。だから私たちの罪の代価は支払い済みになった、支払いは完了したと断言されたのでした。ヨハネという弟子は、この言葉をしっかりと聞いて書き留めています。
どうぞ、知って下さい。これは、作り話でもなければ、人の教えでもありません。創造主なる神様があなたを救うためになしてくださった御業です。あなたも、キリストの身代わりの死を「私のためであったのだ」と信じ、罪赦された者と認められ、救いの恵みをご自分のものとしてください。心からお勧めいたします。
聖書のことば
イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。
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