オアシスからのニュースレター
2024.5
『創造主は私たちの痛み苦しみを担う神』
星野 弘治
「置き換え法」
大阪市の東淀川区に淀川キリスト教病院があります。50年前この病院に精神神経科を開設し、ターミナルケア実践のためのチームを結成した柏木哲夫先生は、医療従事者に「共感力」を身に着けてもらうために「置き換え法」で指導しました。目の前の患者さんと自分をイメージの中で置き換えて、自分が患者さんだったらどんな言葉をかけてもらいたいだろうかなどと考え、訓練を積むのです。こうして共感力を養い、患者さんに寄り添います。素晴らしい訓練だなあと思わされました。
しかし今まで紹介させていただいてきたイエス・キリストは、イメージの中ではなく実際にこの世に来て下さり、私たちの痛みを担い、創造主としての真実な御愛を伝えるために十字架で身代わりとなって死んでくださった方です。
目撃者の証言
十字架につけられ、死んで葬られたイエス・キリストは、3日目の朝、死を打ち破り墓の中からよみがえられました。死んでよみがえられたイエス・キリストのお姿を目の当たりにした弟子たちは、もう疑うことはありませんでした。この方こそ前々から預言されてきたメシヤ、救い主だったのだとハッキリと悟ることが出来ました。
そして何と、イエス・キリストが最後に死刑を宣告された国の最高議会において、「神に従うよりも、あなた方に従うほうが神の御前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」と大胆に証言したのでした。
人となられた創造主
この墓からのよみがえりを通して、イエス・キリストという方は、ただの人ではなく「創造主なる神ご自身が人となられた方」だったことが明らかにされました。聖書に、「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。」とあるからです。
創造主なる神ご自身が私たちを愛するがゆえに人となってこの世に来て下さり、人としての痛み苦しみを味わい、十字架とよみがえりによって罪と死の問題も解決されたのです。ですから、イエス・キリストのよみがえりのお姿を見た弟子たちは、排他的に聞こえるかもしれませんが、同じ最高議会において「この方以外には、だれによっても救いはありません。」ともハッキリと証言することが出来ました。
あなたは、イエス・キリストのことをどのように判断なさるでしょうか?
聖書のことば
“まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼はわたしたちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼へのこらしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。”
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