星野 弘治
この宇宙には造られた方がおられ、その方が私たちを何よりも大切に思っておられることは創造の御業の中に感じ取ることが出来ます。そして、その御愛がどんなに深く、真実なものであるかは払われた犠牲の大きさによって知ることが出来ました。前の6月号で見た通りです。
それでは、どうして創造主はそこまでして私たちのことを心にかけていて下さるのでしょうか。その理由はただ一つ、私たちが滅びることを望んでおられないからでした。「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つため」とある通りです。「滅びることなく」とございます。「滅びる」と日本語に訳されている言葉の意味は、さらに先を読み進んでゆくと「救われないで滅びてしまうこと」であり、「さばきに会って罪に定められてしまうこと」だったのです。そしてそのことは、言葉の用法から一回限りの出来事を意味していたのです。
何か恐ろしいことを言っておりますが、これは一体どういうことでしょうか。これは、この世界がどのようにしてできたか、私たち人類がどのようにして存在するようになったかを思い出していただければ納得がゆくと思います。先に触れたことですが、この世界にはこれを造られたひとりの造り主、創造主がおられる。この方はこの宇宙万物を私たち人類が最も快適に生きてゆけるように造られ、続いて私たちを御自身に似た霊的人格的存在として造り、命を与えてこの世に生まれさせて下さました。
しかし、私たち人類の最初の先祖はこの創造主に背いてしまったのです。その結果、その子孫である私たちも神である創造主に背き、この方を認めようとせず、自分で考え出したものに頼ろうとする罪の性質を持って生まれて来ました。このままでは、神である創造主の御愛を知ることなくこの世を去らなければなりません。そして、伸ばされた愛の御手を払いのけ信じようとしない罪のゆえに裁かれ、永遠に神である創造主との断絶が決定的になるのです。これが「滅び」であり、私たちは「滅ぶべき者」であったのですね。
しかしご自分の計画を十分御存じである創造主は、そのようなことにならないようにひとり子を救い主として私たちに遣わして下さいました。そして、私たちの身代わりとして十字架で罰し、私たちの罪を赦して下さいました。ですから、自分が創造主に背いていたことを認め、自分の罪の身代わりとなってひとり子イエス・キリストが十字架で罰せられて下さったと信じるなら、十字架の罪の赦しはあなたのものとなるのです。信じたあなたは、罪赦された者となりましたから裁かれることがありません。罪が取り除かれましたから、あなたは創造主を天のお父様と呼び、この方を礼拝し、この方に祈る者となるのです。そして、滅びではなく永遠のいのちを持つ者となります。
神である創造主はこのことをあなたに知っていただきたいので、あらゆる方法を用いてご自身の御愛を示そうとしておられます。あなたが滅びることなく永遠のいのちを持つ者となるようにと天のお父様は今もあなたのことを待っておられます。
*聖書のことば*
神(創造主)は、実に、その独り子をお与えになったほどに、神(創造主)から離れた私たちを愛された。それは、御子(註:イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(私訳)