星野 弘治
私は高速バスを利用して名古屋に行くことがよくある。途中1回「ひるがの高原サービスエリア」で休息する。バスから降りると、開放感とともに高原の澄み切った空気を胸いっぱい吸い込む。ひるがの高原のサービスエリアは最高のやすみ場である。特に、夏バテで疲れ気味のときは格別。
人生の長旅においても、やはりやすみ場が必要。そこで、趣味やスポーツ、友達との楽しい語らいやお酒など、しかしご存知のように、それらはある程度気持ちをほぐしてくれるかもしれないが、一時的なもので、根本的な解決にはならない。
仏教では、人の世の苦しみを的確に分析している。生まれてくること、老いてゆくこと、病にかかること、死をむかえること。これらは、どうしても避けることのできない現実。それに加えて愛する者との離別があったり、恨みをいだいて心が苦しみ傷んだり、求めるものが得られなかったり、良くなったと思うと悪くなったりとなかなか思うようにいかない。真剣に生きようとすればするほど四苦八苦する。しかしこれらの原因は、いったいどこから来るのだろうか。
それは、実はこの大宇宙を造り、私たちに生命を与えられた方を認めず、その方もその方の愛も知らないで生きているところに原因がある。
しかしここに、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」とやさしく招いている方がおられる。
その方は、今から2千年前この世におられた方。私たちがこの大宇宙の造り主、私たちに生命を与えられた方を認めない罪のため、代わって罰せられて死に、私たちの罪を取り除いてくださった方。
そんな方が、確かにおられたのだ。だから、あなたがそのことを認めて信じるなら、あなたも罪が取り除かれ、あなたに生命を与えられた方があなたをどんなに愛しておられたかを悟り、心の中はその方の愛で満たされる。
そして、この愛に満たされ、罪ゆるされた感謝にあふれて生きるとき、全ての苦しみに解決が与えられる。
ですからこの方こそ、あなたに根本的な心のやすらぎを与え、心のやすみ場を与えてくださる方と言える。
あなたも、この方の招きの言葉をじっくり味わってみてはいかがでしょうか。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。」
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」