星野 弘治
この世に、いらん人などおらん。今回は、このメッセージを全ての人に知っていただきたい。先日のこと、ある新聞で「この世の中で自分などいらん人だ。」と思い込んで生きて来た女性の記事が載っていた。本当にそういう方がいるんだ、と改めて知らされた。その方は、5歳で両親が離婚。父親に引き取られたのだが、その父親はいつの間にか蒸発。結局、2歳下の弟と施設に入れられる。夜になると、迎えに来てくれるはずの父親の写真を眺めながら過ごす日々。自分はいらん子だからここにおる、と思うようになる。「自分はいらん子だからここにいる。」と。どんなにか、辛い悲しい日々を過ごしたことだろう。
しかし、この世にいらん人など一人もいないのだ。命は、人が造ろうと思ってもつくれるものではない。命は神からのものだからである。しかも、あなたが命与えられ、この世に生まれて来たのは、何と1500億分の1の受精率で受精した結果だ。だから、あなたに命を与えた方にとってあなたがどんなに大切な存在であることだろう。その方からの言葉は次の通り、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
しかし、そのご愛をあなたは感じ取っているだろうか。いや、感じ取ることが出来なくなっているのが人間の現実。しかし、この神のご愛を感じ取れるようにして下さった方がおられる。その方は、あのクリスマスでお祝いしたイエスと呼ばれる方。
このイエスと呼ばれる方は、その生涯を通してご自分が神から遣わされた救い主であることを数々の奇跡や不思議をもって証明された。そして、生涯の終わりには人類の一切の罪をご自分の身に負い罰せられて下さり、3日目に墓からよみがえり、正真正銘の救い主であることを世に明らかにされた。この出来事を自分のためだったと信じた人は罪赦された者となり、命を与えた方との間のわだかまりが取り除かれ、その愛を実感できる。
イエス・キリストの十字架での身代わりの死は、神の愛が目に見えるかたちであらわされた歴史的出来事。
あなたが罪赦されて命与えられた方のご愛を知ったとき、あなたは自分がかけがえのない存在であることを知り、生きる力が湧いてくる。一切の罪を赦して下さった神のご愛の中にいこうと共に、この世の中にいらん人など1人もいないことを実感するに違いない。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世(この私)を愛された。それは御子を信じる者(イエス・キリストを救い主と信じる者)が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(カッコ内は筆者の注)