星野 弘治
元尼僧 藤井さんは理解した
『しかし肝心かなめの大いなる力をお持ちの方が、かたや天地万物の創造主なる神であり、かたや被造物なる人間が悟りを開いて仏陀になったという阿弥陀仏ですから、全然似ていないのですが、「他力信仰」という面で、そこのところが混同されてしまうのです。しかしこの違い、「かたや人間をもお造りになった神であり、かたや悟りを開いた人間」、ここのところが、キリスト教の信仰と浄土門の信仰の違いの急所だと、私は理解しています。』
藤井圭子さんのこと
広島大学医学部を卒業し、小児科医として働いていた藤井さんが出家するようになった経緯はこうだ。中学3年の時、体調を崩して2,3か月間自宅療養することになった藤井さんは、「確かなもの、永遠なるもの」を求めるようになり、次第に「理性の宗教」「悟りの宗教」といわれる仏教に心惹かれるようになった。大学に進学し医学の勉強を始めたが、京都の佛教大学の通信教育で仏教学も学び始めた。 こうして、彼女の心の中にはいつの日か出家して釈迦の教えに従って専心修行し、宇宙の真理を把握し悟れる者になりたいという願いが強くなっていった。医学部を卒業し、小児科医になって3年近くたったころ、藤井さんはついに全身全霊、仏道修行に励もうと決心したのだった。
出家、修行、そして・・・
京都の尼僧道場の生活だが、まだ夜が明ける前のピンと張りつめた空気の中で、読経し、五体投地の礼拝を繰り返しつつ念仏する朝の勤行は、人の心を惹きつけずにはおかない宗教的雰囲気に満ちていた。勤行の中心は読経で、浄土三部経全体を5,6日分に分け、1年中、毎日繰り返し読む。仏道修行に励む藤井さんは、尼僧道場では監督先生の直弟子として仕え、後には舎監兼教師とて働くが、やがて言いようのない不安と虚しさに襲われ、改めて自分の心を見つめ直した。そして、修行や戒律遵守、威儀を正すことで心の虚しさを紛らわせていただけで、「実体のない世界を見てしまった。」と、藤井さんは言う。
虚しさが喜びに
虚しさと不安の原因は、『釈迦がいかに偉大な人(悟った人=仏陀)であっても、彼はやはり私たちと同じく「死すべき人間」であって、釈迦が即ち、真理でもなければ、永遠なる神でもなかった』から。
大変な失意のうちに広島に帰り、再び小児科医として働き始めた藤井さんに転機が訪れた。家の隣にできた教会が献堂三周年の記念集会を催し、その集会に参加したことを通して神様が本当にいてくださることが分かった。藤井さんは告白する、「私が若き日、尼僧となって探し求めていた道は、何とイエス様だったのです。求めていた真理は、イエス・キリスト様だったのです。」と。
聖書の言葉
「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは全ての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」