2015.7
星野 弘治
名誉ある汚名
キリストの弟子にトマスという人物がいた。彼は実直な人物だったようだが、同僚の弟子たちがキリスト復活の証言をするのだが頑固に信じようとしなかった。そこで、彼は「疑い深いトマス」と呼ばれるようになった。しかし、彼が徹底的に疑ったことで、むしろキリストの復活を信じられない人々に復活の確かさを実証する結果となった。ことの次第は以下の通りである。
復活の日の出来事
土葬だった当時の習慣で、女弟子たちはキリストの亡骸に香油を塗るために墓にやって来た。しかし、墓の中は空っぽ。知らせを聞いて弟子の2人が駆けつけて来た。見ると、確かにキリストの亡骸はなく、遺体に巻いた亜麻布は脱皮したヘビの抜け殻のように巻かれたままでそこにあった。
女弟子の一人、マリヤはずっと墓の脇で泣いていた。すると、「マリヤよ。」と呼ぶ声が後ろでした。振り向くと、復活されたキリストがそこにおられたのだった。
またその日の夜のこと、復活されたキリストは集まっていた弟子たちにも現れて十字架に付けられた時の釘の痕、ローマ兵が刺した脇腹の槍の痕を見せられた。弟子たちは、まぎれもない「復活されたイエス・キリスト」に会って驚きと喜びに満たされた。そして、その日一緒にいなかったトマスに一部始終を話したのだった。しかしそれを聞いたトマスは、実際に自分の目で見、自分の手で釘の痕に指を突っ込み、また脇腹の槍の痕に手を差し入れてみなければ決して信じない、と言い張った。「疑い深いトマス」の汚名はこの出来事に由来したのだった。
トマスにも現れた復活のキリスト
さてその8日後、すなわち次の日曜日、弟子たちは室内におり、トマスも彼らと共にいた。するとそこに復活したキリストが現れ、彼らを祝福された。そしてトマスに向かって、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」と諭された。復活のキリストを目の前にしたトマスは、キリストの復活を疑う必要はなかった。「私の主。私の神。」と告白して、御前にひれ伏したのだった。
おわりに
このように、聖書が提供する救いは「十字架で死んで復活されたキリスト」を創造主が遣わされた唯一まことの救い主であると信じる実体のある信仰。あなたの信仰は?
聖書の言葉
もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。