牧師 星野 弘治
ユネスコ憲章前文から思う
平和を願う世界の人々の思いと英知を結集したユネスコ憲章前文には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と謳っている。前文はさらに私たち人類の歴史を振り返り、「政府の政治的及び経済的取り決めのみに基づく平和」が「誠実な支持を確保できる永続する平和ではない」ことも指摘する。
平和を願わない人はいない。しかし、平和を作り出すことは何と難しいことか。
しかし、しかし、私たちには希望がある。2000年前に私たち人類のために救い主としてお生まれになったイエスキリストという方は、別名「平和の君」とも呼ばれている。そう、この方こそ「平和の君」、「平和を作り出す源となる方」だったのである。
「平和を作り出す方」
クリスマスで祝われた救い主イエスキリストは、その誕生が馬小屋の飼い葉桶の中であったことは誰も知っている。どんなに貧しい状態の中で生まれたとしても、さすがに飼い葉桶の中で生まれた人はおられないと思う。
しかしイエスキリストという方は、それ程までに低い、貧しさの中でお生まれになった。そしてその生涯の終わりには、罪のない方であるにもかかわらず「罪ある者」として十字架刑にされた。
この、「身を低くする謙遜さ」と「どんな犠牲も惜しまない無私」に、「平和を作り出す方」を見る思いがする。
「神との平和」をもたらす方
救い主イエスキリストが「平和の君」と呼ばれるには、さらに深い理由がある。
私たち人類の悲惨と混乱、暗闇の中を歩いているような人生の原因は、この宇宙を造られ、私たちに命を与えられた創造主から離れ、創造主を無視したことにある。
しかし、救い主としてお生まれになったキリストは私たちのその罪を取り除いて下さり、創造主との関係を正しい平和な状態に回復して下さった。
私たちに代わって十字架上で罰せられたキリストは、信じる者には罪が取り除かれ、罪赦された者として神に受け入れられるようにして下さった。「神との平和」の道を備えて下さったのである。
「人との平和」を実現可能にする方
キリストの十字架上での身代わりの死を信じ罪の赦しを体験した者は、神の愛で心の中が満たされる。心にあるこの神の愛で人を愛し、どんなに辛いことでも乗り越えることが出来る。「平和の君」と呼ばれるキリストは、人との平和をも可能にして下さる方でもある。
この年の初めに、あなたも「平和の君」を心の中にお迎えして、平和を作り出す者となり、「神の子ども」と呼ばれ、有意義で実り多い2016年にしていただきたいと切に祈る。
聖書の言葉
「平和をつくる者は幸いです。その人は、神の子どもと呼ばれるからです。」