牧師 星野 弘治
罪ちゃ何のこと?
前号で、「あなたの罪は赦された」と言うありがたいお話をさせていただいた。
しかし、「罪っちゃ何のこと? 法に触れるようなことも、人に後ろ指指されるようなことも
何もしていないのに」と。
言われている「罪」のことが分からない。実は、私も以前は同じだった。
ここで言われている「罪」というのは、法に触れる、触れないとか、
人にどう思われているとかと言う次元のものではない。
くどいようだが、繰り返し申し上げたい。創造主から離れ、その方に背いている心の状態。
そこから、創造主を忘れ、自分の思い、自分の考えで生き、また行動するようになる。
この自己中心が、創造主の御前で「罪」なのだ!
罪を罪と感じ得ない罪深さ
「あなたは、創造主の前で罪人です」と言われて、「ああ、その通りでした」と
涙ながらに悔い改める人は恐らくいないだろう。
それほど、私たちは「罪」について鈍感になってしまっている。
小説家の故三浦綾子氏は、ご自分の体験を振り返り、自分の内にある罪の深刻さを鋭くえぐり出す。
もし、ある男が、わたしと婚約していて、同時に他の女と婚約していたことが分かったらどうだろう。
わたしは烈火のごとく怒って、その男を「不誠実!」「女たらし!」「詐欺漢!」と
ありとあらゆる言葉で罵ったことだろう。
しかし、三浦さんは自分がそれと同じことをやっていて、そのことで自分が悪い、
不誠実な女だとは思ってもいなかった、と告白する。
そして、「罪を罪として感じ得ないことが、最大の罪なのだ」と指摘する。
二つの尺度を持っている私たち
この、自分に甘い人間の心の状態を、三浦さんはさらに数々の例を挙げて執拗に追及する。
いとも楽しげに人のうわさ話、悪口を言い、「ああ、今日は楽しかったわ」と言って帰って行く。
しかし、もし、自分の陰口を聞こうものなら。「ひどいわ。ひどいわ」と言い、
陰口を言った人を憎み、口もきかなくなる。
また、人の浮気話を聞くと「いやらしい。さかりのついた猫みたい」と、眉をひそめる。
しかし、自分に心ときめく人が出来たりすると、「わたし、生まれてはじめて、
すばらしい恋愛をしたの。恋愛って美しいものね」などと言う。
人間は自分に甘い物指と、人の言動を計る厳しい物指と2つの物指を持っているようだ。
しかし、創造主は公正で、人を偏り見ることをなさらない。
創造主の御前に立ちうるか
あなたに、もう一度お尋ねしたい。「創造主の御前に立つことが出来るでしょうか」と。
私が宗教の勧誘をしていると勘違いしないでいただきたい。この世界を造られた方がおられる。
その方とあなたは親しい関係を回復されましたか。
これが最大の問題なのだ。
聖書の言葉
初めに、神が天と地を創造した。