牧師 星野 弘治
あまりにもショッキング
先月、7月26日未明、あまりにもショッキングな出来事が起こった。相模原市にある障害者施設に、刃物を持った26歳の元職員が侵入。次々に重度の障害者を刺殺し、その数は19人に及び、26人は重軽傷を負ったという。1人の命が奪われてもあってはならないこと。それなのに、こんなにも多くの方々が命を奪われ、また恐怖に襲われた。
さらに驚くべきことは、「障碍者なんていなくなればいい」という趣旨の供述をしているという。
ご親族の悲しみを共有しつつ、これを機にいま私たちは何をすべきか考えたい。
どうしてなのか?
それにしても、彼がこのような考え方をするようになったのは、一体どうしてなのだろうか。この出来事は、単なる社会の片隅で起こった出来事、あるいは一つのニュースとして過ぎ去らせてはならない。
どうして、このような考えを持つ人が出てくるのだろうか。
私たちの社会はますます互いに助けを必要とする時代へと進んで行く。互いに助け合え、支え合える社会や家庭。そのために、人間の尊厳や真価を認め合って生きられる環境を作って行くこと、またそのことを共に考える時に来ていると思えてならない。
まず、創造主を畏れることから
私は、何も宗教のことを持ち出そうとしているのではない。各自自分の宗教があるのは当然のこと。創造主は、人間に「永遠への思い」を与えられたのだから。
私が言おうとしているのは、科学者たちも認め始めてきている「この天地万物を創造され、あなたを
創造された方」のこと。この方を認め、この方を畏れて生きることの大切さを提案させていただいている。
宗教を超えた全ての創造者なる方のことである。
それでは、人の尊厳の根拠は?
人は、「創造主のかたち」に創造された。目に見えないはずの創造主の「かたち」とは?前にも触れた通り、創造主が霊的、人格的存在でおられるように、人間は誰であれ霊と人格を持っている。ここに、人間の尊厳の根拠がある。この根拠に基づいて自他を受け入れ、敬うのだ。
あなたは、創造主にとって愛の対象
創造主は言われる、「わたしの目には、あなたは高価で尊い」と。また、「女が自分の乳飲み子を忘れようか。・・・たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない」とも言っておられる。
この創造主の確かな御愛の中に生きる時、心には平安と喜びがある。それは方便の所産ではない。この世界を造り、あなたをこの世に生まれさせて下さった実在の方からくる御愛。この創造主の御愛と価値観によって、共に生き、受け入れ合い、仕え合う喜び!
聖書の言葉
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。