牧師 星野 弘治
自由意志
先回は、神のご愛の中で生きるとき心に平安があり、愛されていることの喜びがあり、他者を受け入れ、共に生きる心の余裕が湧いて来ることを紹介させていただいた。
では、どうしたらその神の愛を自分も体験できるのだろうか疑問になる。そこで今回は、どうしたら神の愛を体験できるか紹介させていただきたい。もちろん、初めから「そんなもの存在しないよ」と聞く耳を持たない方もおられると思う。それは致し方ないこと。私たちは創造主に似せて造られ、霊を持ち人格を持った、即ち自由意志を持った存在だから。願わくは、その自由意志を「神の愛を体験したい」と思うほうに働かせて頂けたらと祈るばかり。
「わたしの目には・・」
あなたは、誰の目を気にしますか。ここでもう一度、創造主の御愛に気づいていただきたい。創造主は言われる、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と。また、「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない」と。
この創造主の御愛を、キリストは「放蕩息子を待つ父親」のたとえ話で切々と語られた。
キリストは何をされたか
創造主は、私たちがご自身の許に帰って来るためにされたことがある。それが、イエス・キリストというお方。クリスマスにお祝いするように、イエス・キリストは実際にこの世に来られた。そして、ご自身が正真正銘の人類に遣わされた救い主であることを奇跡や不思議を通して示された。そしてその生涯の最後に、創造主を認めようとしない私たちの罪、そこから生まれる様々な自己中心の罪を一身に負って十字架上で罰せられて下さった。
創造主は聖い方。罪のことをないがしろにされる方ではない。しかし、私たちを愛するその御愛のゆえに私たちを罰することをされずに、キリストにあなたの罪を負わせて罰せられた。あなたの罪はキリストが代わって罰せられて下さった!ですから、あなたの罪は一切解決済みなのです。あなたは、それをご存知でしょうか。
知っているだけでは不十分
しかし、知っているだけでは不十分。それはちょうど、ウインドウに飾られているメニューを見て美味しそうと分かっていても食べてみなければ本当は分からないのと同じ。神様の言われることは間違いない。「信じてみよう」と自由意志を働かせて決断し、信じてみることが必要。
あなたも罪赦された喜びを味わうに違いない。そして、罪赦された心の中には創造主の存在も創造主の御愛も事実であることが良く分かる。これは、私も体験し、知った真実なこと。あなたも、間違いなく体験できること。
聖書の言葉
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。