牧師 星野 弘治
霊は無くならない
物質は時間が経つと古くなり、やがて無くなります。しかし、「霊」は物質ではありませんから、無くなることはないのです。
私たち人間は「万物の霊長」と呼ばれるように「霊」を持った存在です。ですから、あなたの肉体は死んで葬られます。でも、あなたの霊が亡くなるということはありません。さらに、私たちの内にあるこの「霊」は、いわゆる「宗教」によっては救われない、「不動の安心は得られない」ことを指摘させていただきたいと思います。
いくつかの事例から
事例1:第9号で、ひとりの宗教家が夜イエス様を訪問したという出来事を紹介しました。その人は、当時彼の右に出る人物はいなと言われるほどユダヤ教の教えに精通していた。彼はその道を極めても、いや極めたからこそ、その限界を悟ったのだと思う。夜イエス様のところに教えを乞うためやって来た。その彼にイエス様は、ハッキリ諭された。「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と。宗教ではない。「新しく生まれなければ」なのです。
事例2:さて、話を今日に戻しましょう。私が新潟で牧師をしていた時のこと、隣町に一代で大きな酒屋を営むまでになった方がおられた。しかし晩年、彼はガンを患い、余命いくばくもないことが分かった。死に直面した彼は、今まで信じて来た宗教では心の不安をどうすることもできなかった。しかし息を引き取る1週間前、イエス・キリストと言う方が彼に代わって十字架で死んで下さったこと、しかし3日目に墓の中からよみがえられたことを知って、幼子のように信じ、平安のうちに息を引き取られた。
事例3:また、亀谷凌雲師のことを忘れることはできない。末は親鸞上人か蓮如上人のようになりたいと「お勤め」に励んだ凌雲先生でしたが、第四高等学校時代に阿弥陀様を実在の方とは思えず悩みます。大学に進み、倫理学を専攻した大学院で西洋倫理を研究する中で聖書を読むようになり、阿弥陀如来の本願はイエス・キリストにおいて実現したことを悟り、袈裟を脱ぎ、「救い」はイエス・キリストにあると宣べ伝える牧師になった。
人の「霊」は創造主から
どうして、人の霊は宗教で安心を得ることが出来ないのだろうか。答を先に言えば、人の霊は創造主なる神から与えられたものだから。だから、いわゆる「宗教」によってではなく、創造主なる神の備えられた救いの道によって初めて、人は創造主なる神と霊的な交わりを回復し、人の「霊」は永遠にして絶対の安らぎ、「不動の平安」を得るのです。
あなたも、この「平安」をご自分のものとされますよう祈っています。
聖書のことば
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、誰一人父のみもとに来ることはありません。」(イエス・キリスト)
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