牧師 星野 弘治
来世の保証はあるのか
蓮如上人の子、蓮誓が建立した寺の18代目の住職となった
亀谷凌雲(かめがい りょううん)先生は、弥陀の本願は余りにもありがたくて
感涙することがありながら、弥陀の実在がハッキリしない。悶々とした思いを抱きながら
東京大学に進み、学ぶうちに聖書と出会い、救い主が実際にこの世に来られ、
実際に衆生を救うために十字架に架かり死んで罪の赦しを与えて下さった事を知った。
その時、先生は得心できた。弥陀の本願はこのイエス・キリストという救い主において
成就したことを。そして、信仰に入った。
しかしその先生が、最後まで気掛かりなことがあった。親鸞は弥陀一仏を頼むことを教えた。
しかし、蓮如はさらに「何と頼むか」と問い、「後生たすけたまえと頼む」と
教えておられた。ですから、先生にとって来世の救いが「ただ一つの問題」として
心にかかっていたのだった。
キリストの復活は来世の保証
しかし、前号で見たごとく聖書に記録されたキリストのよみがえりは疑いようのない事実。
まず、空っぽの墓の傍らで泣いていた女弟子マリヤに、よみがえられたキリストは
「マリヤよ。」と呼びかけられた。またその夜、集まっていた弟子達によみがえられた
姿を見せ、十字架に付けられた時のクギ痕をお見せになった。1週間後には、
「実際にクギの痕に指を差し入れてみなければ決して信じない。」と言い張っていた弟子にも
現れてくださった。またある時は、集まっていた500人以上の弟子達に同時に
現れてくださった。
さらにさらに、何と40日の間確かな証拠をもってご自身の復活した姿を弟子達に
現わされた。ですから弟子達は、「この方以外に救いはない」と公言してはばからなかった。
いや、殉教の血を流してまでもその真実を曲げようとしなかった。
死後の世界、来世の救いはあるのだ。これ程までの目撃者の証言、証拠の前に
私も黙する以外に術を知らない。
現世は来世への準備の時
こうして聖書をよく見ていくうちに、来世の信仰こそが聖書の信仰の中核であり、
その来世の信仰によって全てが支配されていること、現世は来世への準備の時で
あることを知って、凌雲先生は袈裟を脱いで牧師になる決断ができた。
あなたは、いかがでしょうか。亀谷先生のような大決断とまではいかないまでも、
今までの因習や信仰に捕らわれず、虚心坦懐になって何が真実かをお考えになっては。
天国についての聖書のことば
『彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』