牧師 星野 弘治
光を送る灯台
先日暗くなった海岸線を車で走っていると、海上の船舶に光を送っている灯台が目に入ってきました。灯台というと、映画「人生の約束」を見た私にとってはロケ地となった新湊のあの「赤い灯台」が何となく懐かしく思い出されます。しかし灯台の光は、船舶にとっても漁をする漁師さんにとっても命にかかわる大切な光。
わたしこそが人生の光
ある時、ひとりの女の人がイエス様のところに連れてこられました。その人は大きな罪を犯してしまい、どう生きていったら良いか分からなくなっていました。イエス様はその方に、「わたしが世の光です。わたしにしたがう者は、闇の中を歩くことがなく、いのちの光を持つのです。」とおっしゃいました。
私たちも、いろいろな事でどう生きたら良いか分からなくなってしまうことがあるかも知れません。でも、イエス様に頼って生きるとき、イエス様は行く道を照らしてくださる。どう生きたら良いかを示してくださるというのです。
イエス様は人生の手本
私たち人類の最初の人は、惑わす霊にそそのかされて創造主なる神から離れてしまいました。それ以来、私たちは自分の考え、自分の力に頼って生きることができると自己過信する者になってしまいました。しかしイエス様は、正にそのような私たちに人はどのように生きたら良いかを示してくださいました。
例えば、イエス様は40日40夜の断食の後で空腹を覚えられました。そんなイエス様に、惑わす霊は自分の力に頼って空腹を満たすよう促します。しかしイエス様の答えは、「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」と、まったく神と神の言葉に信頼しきって生きておられました。このような生き方こそ、創造主によって造られ、命を与えられた私たちが生きるべき道だったのです。
救い主として輝いているイエス様
それのみならず、イエス様は創造主なる神様から私たちに送られた救い主として輝いておられます。私たちに命を与えられた創造主は、私たちとの関係を回復するためにイエス様を救い主として送ってくださいました。救い主イエス様は、あなたが創造主を認めず崇めようともしない罪のために代わって十字架にかけられ罰せられてくださり、信じる者に罪の赦しを与えて下さいました。ですから、あなたもイエス様の身代わりの死を私のためだったと信じるなら罪赦された者となり、いのちにあふれて光の中を生きることができるのです。
聖書のことば
イエスは再び人々に語られた。
「わたしは世の光です。わたしに従うものは、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」
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