例え話からさらに見えてくる真理
この世界を造り、私たちに命を与えられた創造主(つくりぬし)はどのような方でしょうか。イエス様は、霊的真理という目に見えないことを例え話で明らかにされることがよくありました。前号では、その例え話で「身代を譲り受けて遠い国に行ってしまった息子を待ちつづける父親の愛」から、創造主(つくりぬし)も同じようにご自身から離れた私たちを待ちつづける愛の方であるという真理が明らかにされました。
今号ではそのたとえ話をさらに詳しく紹介して、そのたとえ話からさらに「父親の真実な愛は、赦す愛」でもあることを学び取ることができたらと思います。
悔い改め、帰った息子をゆるす父
さて例え話ですが、身代を譲り受けた息子は自由を求めて遠い国に行った彼は、自由奔放な生き方をします。そして、とうとう身代を使い果してしまいます。そんな時に、思いがけなくその国に厳しい飢饉が襲います。彼は食べる物にも事欠く生活を強いられます。そんなどん底の生活の中で、父のところに帰って働くことにしようと心に決めます。そして悔い改めの文言まで用意します。そして帰途につくわけです。そんな彼を、父親はずっと待ちつづけていたのです。帰って来る息子を遠くから認めるや、走って行ってしっかりと抱きしめ、何度も何度も口づけをしたのでした。ここに、待ちつづける父の愛と共に、悔い改めて帰って来た息子をゆるし受け入れる父の愛を見るのです。それは、このあと帰って来た息子のために盛大な祝宴を催すことからも見えてきます。
つくり主も同じです
私たちもみな、たとえ話に出てくる息子のような者ではないであしょうか。何物にも縛られたくない。自由でありたい。ですから、創造主(つくりぬし)がおられるなど認めたくない。宗教も、「何が真理か」よりも「自分に都合の良い宗教」で満足。こうして、私たちは自分の願いや考えに従って与えられた命、与えられた時間を費やして生きてきたのではないでしょうか。
しかし、あなたに命を与え、この世に生まれさせてくださった創造主(つくりぬし)は、真実な愛であなたを愛しておられる方です。クリスマスで学んだように救い主(イエス様)を送ってくださいました。このイエス様は33年の後、十字架上で「父よ。彼らをお赦しください」と創造主(つくりぬし)に祈り、私たちに代わって罰せられてくださいました。あなたはこのイエス様の身代わりの死を信じるだけで背いてきた罪は赦され、永遠に創造主(つくりぬし)との交わりの中で生きる者となるのです。
聖書のことば
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じるものが、一人として滅びることなく、永遠のいのちをもつためである。」