牧師 星野 弘治
先入観の恐ろしさ
先入観は恐ろしいものです。既成概念にとらわれて誤った判断をしてしまうからです。それは、宗教の世界において特にそうです。その最たるものがイエス様の裁判でした。
イエス様を神の冒涜者として処刑しようと決めていた大祭司は、宗教裁判で決定的な言質を得ようとイエス様を問いただします。「私は生ける神によっておまえに命じる。おまえは神の子キリストなのか、答えよ」。この問いかけに臆することなくイエス様は「あなたが言った通りです。」と答えられ、さらにご自分が「神の子」であり、「キリスト」(救い主)であることを確証する証言をされたのでした。この証言は、イエス様を一人の人としてしか理解しない大祭司にとっては、神の冒涜者として訴えるのに十分な証拠でした。こうして、イエス様は十字架につけられるわけです。しかし、事実はイエス様の証言の通りでした。
預言の成就としての十字架
紀元前750年ごろ、やがて救い主として来られる方は私たち人類の罪を代わって負って下さり、裁かれてくださると預言されていました。引用すると次の通りです。「私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かっていった。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた」と。
裁判にかけられた後、イエス様は「ゴルゴダの丘」という刑場で十字架に架かられました。息を引き取られる前に叫ばれました「わが神。わが神。どうして私をお見捨てになったのですか」と。預言された通り、イエス様は私たちが受けるべき罪の裁きを一身に負ってくださったのでした。
墓からの復活という事実
イエス様の亡骸は十字架からおろされ、墓に葬られました。当時は土葬です。3日目の朝、女弟子たちは亡骸を丁重に葬るために高価な香油を持って墓に行きました。しかし、墓は空っぽでした。亡骸を巻いた亜麻布だけが巻かれたままそこにありました。ちょうど蛇が脱皮して皮だけ残しているように、イエス様はよみがえられたのでした。
よみがえられたイエス様は、その後40日間御自身が生きておられることを大勢の弟子たちに現されました。心理学者は言います。亡くなった方が幻の中で現れることはある。しかし、大勢の人たちに同時に現れることはない、と。イエス様の復活は、確かに聖書に記されている通り復活のからだを持った復活であり、幻ではありませんでした。
イエスは間違いなく、この世界の創造主(つくりぬし)が遣わされた神の御子キリストでした。本当に頼りになる方はどなたでしょうか。先入観の色眼鏡を外して真実を凝視しませんか。
聖書のことば
主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。
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