命あるものの素晴らしさ
先月私たちは、教会で「復活祭(イースター)」のお祝いをしました。復活祭は春に相応しいお祭りだなあと思います。春になると、枯れたような草木が息を吹き返したように芽を出し花を咲かせます。命あるものの素晴らしさを思わされます。
十字架にかけられ、葬られたイエス様が墓の中から復活されたのも春でした。イエス様は「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」と言われました。イエス様には命があったのです。しかし、イエス様の復活は私たちの日常の生活とは余りにもかけ離れた出来事です。そこで、今回と次回に分けて復活の事実を検証しながら、復活が事実なら私たちにどのようなかかわりがあるのかを考えてみたいと思います。
復活の事実の数々
イエス様は以下の人たちに復活されたお姿を現しました。①まず墓の脇で泣いていた女弟子に。②続いて先に帰って行った他の女弟子達に。③その後、ペテロという弟子に。④その日の夕方には11キロ離れた村に向かう弟子達に。⑤その日の夜、トマスを除いたイエス様の弟子たちが集まっていた所に。⑥1週間後に、信じようとしなかったトマスに。⑦ガリラヤの湖で漁をしていた7人の弟子に。⑧集まっていた500人の弟子たちに同時に。⑨ダマスコ門外で、イエス様の弟子達を捕縛しようとやって来たサウロに。
他にもご自身を現わされた人たちはいますが、復活されてから40日の間、このようにご自身が生きておられることを確かな証拠をもってお示しになりました。ですから、弟子達にとってイエス様の復活は疑う余地はありませんでした。
復活の事実と私達の関り
復活によって、イエス様が何一つ罪を犯したことのない神ご自身であることが明らかになりました。罪のない方であるイエス様があなたの身代わりとなって十字架で罰せられて下さったのでした。あなたは今このイエス様の身代わりの死をご自分の罪のためだったと信じるなら罪赦された者と認められます。復活はまた、あなたが復活することを保証するものです。さらにまた、復活が事実ならイエス様は今も生きておられ、あなたがどこにいたとしてもイエス様を信じるあなたと共におられます。あなたはもう独りぼっちということはありません。
聖書のことば
「ここにはおられません。よみがえられたのです。」
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