星野 弘治
本当の親はどちら?
古い話になりますが、大岡越前守の名裁判は有名です。中でも、2人の女性が「この子はわが子」と譲らず、裁判に持ち込まれた事件の裁判は人の心に残ります。
2人の言い分を聞いた大岡越前守は、「それじゃ、この子を裂いて両人で分けるがよい。」と判決を言い渡します。それを聞くや1人が、「とんでもない。この子は、あの人にやって下さい。」と叫びます。驚いてとっさに叫んだその女性に大岡越前守は「この子は、そちの者」と結審します。子を想う母の愛!本当の親心を知る名裁判、とうなってしまいます。
神の愛は親心の愛
再三申し上げてきておりますように、この世界、この天地万物を造られた方がおられます。その方は、私たち人間も造られた方です。
私たちには親がおり、先祖様がおられるわけですが、元を正せばこの天地を造られた創造主なる神こそが私たちの本当の親であり、この方にこそ私たちは立ち返らなければならないのです。しかし、どうでしょう。私たちにはその心がありません。そこで創造主なる神はご自身の愛を私たちに示そうと、かけがえのないひとり子をこの世に遣わし、その方に私たちの背いてきた一切の罪を負わせて罰し、私たちの罪を赦してくださいました。ですから今は、ただそれを信じるだけであなたは罪赦された者と認められ、創造主なる神との交わりが回復するのです。この創造主なる神の愛は、正に親心の愛ではないでしょうか。あなたが信じ頼っている方は、このようにあなたを造り命与え、犠牲を払ってまでしてあなたを愛しておられるでしょうか?
この神の愛を知った人
明治時代の方ですが、山室軍平と言う方を紹介したいと思います。彼は、日本で初めて「社会鍋」と言って貧しい人々に物資や食べ物を与えながら神様の愛を伝える働きを始められた方で、日本のキリスト教界に大きな足跡を残された方です。
彼は幼少時代本当に体の弱い子だったようです。我が子の将来を心配したお母さんは、我が子が丈夫な子になるようにと自分は食べる物も食べないで軍平少年のためにつくしてくれました。お母さんのこの犠牲の愛、心遣いは軍平少年の心に深く焼き付いていました。
彼が東京に出てきたとき、イギリスからの宣教師が「神の愛は母親の愛のようなものだ」と話されているのを聞きました。その時彼は、「そうか。」と宣教師が話していることがよく分かりました。そして、お母さんの犠牲の愛を知っていた彼は、背いてきた私たちの罪を赦すために独り子を十字架上で罰してまでしてくださったという神の愛を素直に信じることが出来たのでした。あなたはいかがでしょうか。見えるでしょうか、この真実の愛!
聖書のことば
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって、私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
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