オアシスからのニュースレター
2021.10
『何というご配慮!』
星野 弘治
改めて創造主の存在を覚える
お元気でしょうか。前号で自然の営みも太陽系の位置関係や運行も私たち人間に実に都合よくできていることを見ました。私たちは酸素を吸って二酸化炭素を吐き出し呼吸しています。酸素が無くなれば死滅してしまいます。しかし、何と大気中には一定量の酸素が常にあるように仕組まれています。植物が二酸化炭素を葉から吸収し、太陽の光を得て葉の葉緑素で光合成しブドウ糖や酸素を作り、酸素は葉の気孔から大気中に排出されるからです。
また、太陽系を含む広大な宇宙も人間に都合よくできています。これらが偶然の積み重ねであるとはとても考えられません。こうした確かな証拠を見るにつけ、やっぱり、この天地を創られた方がおられるんだ。そう気づかされるのではないでしょうか。
愛は見えるかたちで現わされた
このように私たちが生きてゆく上での環境を整えてくださった創造主なる方は、前号で見た通り私たちに豊かな色彩感覚を与えて潤いのある人生を送るように備えられた方でもあります。また、以前紹介したことですが、私たち人間と親しくコミュニケーションができるように言語能力を私たちに備えてくださった方でもあります。
創造主はこのように被造物を通して私たち人間に対するご自身の愛をお示しになっただけでなく、言葉を用いてご自身の愛を明らかにされました。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」と。「世」とは、私たちのことです。創造主なる神様は、実に、ひとり子をお与えになったほどに「私たち」を愛された、と私たちに対するご自身の愛を言葉をもってハッキリと示されました。そして、その愛が見えるかたちで現わされたのがイエス・キリストの十字架上での身代わりの死だというのです。
永遠への備えも用意
唐突ですが、私たちは一度死ぬことと死後に裁きのあることが定まっていると聖書は告げています。この天地を創られた創造主なる方がおられることはすでに確認したことですが、この方は私たちに命を与えてこの世に生まれさせてくださった方でもあります。それにも関わらず、私たちはこの方を拝まず感謝もしない生活をしてきました。本当の親がいるのに、親を親とも思わない生き方と同じですね。
このような恩知らずと言いますか背きの罪のために救い主として遣わされた神の御子イエス様は私たちに代わって十字架上で罰せられて下さり、3日目に墓からよみがえられました。このよみがえりを通して、イエス・キリストは罪のない方であることが公にされました。この出来事を私のためでもあったのだと分かり信じる者は罪赦された者と認められ、永遠のいのちがその人のものとなるのです。
聖書の言葉
「神は、実にその独り子をお与えになったほどに世を愛された。それは、御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命をもつためである。」
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