オアシスからのニュースレター
2022.3
『どちらの”救い”が確か?』
星野 弘治
‘方便‘による救い
‘方便‘と聞くと、どんなことを思い浮かべるでしょうか?「嘘も方便」などということわざを思い出すでしょうか。‘方便‘という言葉は、もともとは仏教用語で、「衆生を教え導くための巧みな手段」と広辞苑では説明されています。私の敬愛する恩師、故・春日礼智博士は『朝毎に「南無阿弥陀仏」と唱えないではいられないから唱えるのだ。阿弥陀様が居られるか居られないかなどと宗教に科学を持ち込むのは邪道だ。』ときっぱりと言っておられました。今思えば、阿弥陀様も‘方便‘なんですね。
しかし、何が真理であるかを見極めるためには科学的洞察も必要なのではないでしょうか。そこで、本号では創造者なる方が備えられた‘救い‘を紹介させていただきます。
創造者なる方がおられる
この天地の存在、そして私たちの存在は偶然の産物でしょうか。そうではありません。全知全能の創造者なる方によるものであることは、今までに再三言及させていただいたところです。
ですから、「初めに、神が天と地を創造された」で始まる聖書では、「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。」と言われています。
創造者なる方が備えられた救い
創造者なる方が備えられた救いはこうです。人類が創造者なる神から離れた当初から、人類をご自身の許に連れ戻すために救い主を遣わすと告げられました。その方こそご存じのように、クリスマスにその誕生をお祝いするイエス・キリストです。
その生涯では、遣わされた方のみこころのみを行われました。そしてその生涯の最後には、自分を神と等しい者としたということで冒とく罪の罪で十字架刑に処せられました。しかし、最後の裁判の席で裁判官である大祭司に「おまえは神の子キリストなのか、答えよ。」と詰め寄られると、イエス様ははっきりと答えられました、「あなたが言ったとおりです」と。さらに「あなたがたは今から後に、人の子が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります」とおっしゃったのです。
この方以外に救いはない
聖書は、よみがえられたことを通してイエス・キリストが神の御子であることがおおやけにされた、と告げています。そうですよね。よみがえりがなかったら、大祭司の前で公言したことも信じられません。しかし、イエス様は次号で詳しく見るように確かによみがえられました。ですから、復活を目の当たりにした弟子の一人はこう断言しています。
「この方以外に救いの名は与えられていない。」
聖書の言葉
“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”
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